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普段の日記

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葉脈


失ってから、本当はもう随分前に失っていたものだと気づく。
それに気づく瞬間、痛みはだいぶ前に和らいでいるものだ。

人は幾千と出会える機会を与えられているのに、
なぜか固執したがる。
名誉、家庭、世間体に踊らされ、何かを諦めてしまう。
そして今の環境を奇跡と呼び、そのコミュニティで生きることを
良しとする。

その方が遙かに楽なこともある。
でも、人生は選択肢の連続だけではない。
決めないことも、選択肢の一つだ。
表面上では何かが終わり、何かが始まっているように見えても、
人の中には、例えるなら、一本の葉脈のようなものがあって、
その派生で少しずつ水を吸収していっているような気がする。

ある一つの枝分かれした葉脈に水が溜まりきったとき、
私たちは、笑顔でいるか、はたまた泣いているのか、
それはわからない。
けれど一つ言えることは、
その水を吸った葉は生き生きと輝いているということ。

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